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  • 執筆者の写真BUNR HAKO

『想像の癖』  5月26日 マサムネ

 僕は小学校の頃から頭の中で物語を作って自分なりの物語を作っていく事が好きだった。みんなもヒーローになって空を飛んでいる事や美少女となり世界的スターとして活躍しているなどの想像を一度はしたことあるだろう。だけど僕の表現の仕方は少し変わっていた。僕は頭に思い描いた想像を熊手で表現するのが癖だったのだ。

 熊手で表現すると言われてもピンとこないだろう。当たり前だ。僕だって熊手で物語を作っているなんて友人に言われたら困惑して、そいつの神経を疑う。だがこれは本当の事で、僕は熊手で物語を作っている。


 その熊手はプラスチック製。爪が4本あり、幼児が砂場で使う様なチープなものだ。


 熊手は人間の手によく似ていると僕は思っている。だから人間がものを使うときの動作を人間の手に見立てた熊手で表現して物語を進めていく。

 例えば、港で2人の人間がいる状況を想像してみよう。1人は銃を持った人間Aでもう1人はその銃を向けられて怯えている人間Bだとする。Bはとある組織の裏切り者で、彼は組織に内緒で秘密裏に組織の情報を売り利益を得ていたが、それがバレて、いまこの瞬間Bは殺されるかどうかの瀬戸際に立っていた。しかし、途中でBの仲間が応援に駆けつけて銃を持ったAを撃ち殺しBを助け出していく。

 この様なワンシーンを熊手で作り上げていく。ここから更に細かな説明をすると文の中から溢れ出ちゃうので、とりあえず僕は熊手でこの様な物語を表現してきた事を伝えておきたい。

 そしてある時、僕は熊手で作った物語を別の方法で誰かに伝える事をしたいと考えた。幸いにも僕は演劇系の大学に属しており戯曲やパフォーマンスなど表現できる環境があったので、この物語を戯曲として表していこうと決めた。熊手で作った物語を戯曲にするなんてなんともおかしな話だが、理解されないものを理解されるものに変換していくにはこの方法ぐらいしか僕には思いつかなかった。とにかく書けるところまで書いてみようと思った。言葉で言うのは簡単だが戯曲を書くということの大変さは並大抵の事ではない。物語を書き綴ることは誰にでもやれることだが誰もが満足する出来を作れるわけではないのは一度書いたことのある人間なら分かるだろう。だけど、とにかくやってみないことには始まらなかった。


 そして今、僕は自主公演に向けて少しづつだが戯曲を書いている。いつ出来るか分からないし、どう完成するかもまだ分からない。だけど少しづつ閉鎖的だった自分の世界が外に出る為、誰かに認めてもらう為に構築されているのが実感できる。これじゃあダメ、これだと想像通りじゃないと書き直し続け、一度白紙に戻してもう一度書き始めた事もあった。妥協したもので表したくないとは切実に思う。熊手という誰にも理解できない表現方法から生まれた世界がいつしか誰かに認められる時を願い、戯曲を書き続けていきたい。

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